生きる力とは何か (3)

投稿者: | 2015年10月19日

(「生きる力とは何か (2)」の続き)

私は2013年に『勉強で「生きる力」をつける本』という小冊子を書いた(こちらから e-book を請求可能です)。
「生きる力」を題名に関した小冊子を書いたくらいなのだから、答えに窮することなどあるまい。
そう思われても致し方ない気はするし、私がもし問われたら「それは『日本語力』である」と即答する。
しかし、現時点での自らの結論として即答することと、その結論の正しさを自らに問い直し続けることとは異なる。
「日本語力」の詳細は小冊子で述べているのでそちらに譲る。

なぜ問い直し続けるのか。
「日本語力」は協調能力、自律能力、思考能力のいずれでもない。
「日本語力」は「いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力」ではない。
「日本語力」は「自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性」ではない。
「日本語力」は survive する力ではない。
「日本語力」は生きることの欲求(生存欲求、生理的欲求)を満たす力ではない。
「日本語力」は集団・社会・文明を維持する力ではない。
「日本語力」はマズローのピラミッドを登ろうとする力ではない。
「日本語力」の発揮によってアスピレーションは満たせない。
「日本語力」は「自己実現」や「人とのつながり」を向上する能力ではない。
だから、問い直し続けるのだ。
巷間の喧伝に耳を貸さず、「日本語力」こそが「生きる力」だと断言することは、果たして正しいのだろうかと。

もう何年も自問し続けてきたし、おそらく死ぬまでそうし続けるだろう。
だが、ここで現時点での結論のようなものは提示しておきたい。

結論:「日本語力」こそが「生きる力」である。

繰り返すが、「日本語力」はこれまでに挙げたどの能力とも異なる。
しかし、いやむしろ、だからこそ、「日本語力」こそが「生きる力」であると言える。
なぜか。
「日本語力」は、上述のような能力の存在を認識し、内容を理解し、習得するために不可欠な能力だからである。
メタ能力(能力を身につけるための能力)と呼んでもいいかもしれない(よくないかもしれない)。

認識されないものは、存在しないことと同じである。
理解できないものは、存在しないことと同じである。
私たちに必要であるとされる能力は上述のように様々だが、そういう能力のリストが存在するという事実を認識し、挙げられた各々の能力の内容を理解できなければ、私たちは無能のままである。
「私たちに必要であるとされる能力はAとBと……であり、それぞれの内容は斯く斯く然々である」と認識し理解した上であれば、どれをどの順番でどの程度習得するか(あるいは習得しないか)は、個々人の選択に任せられる。
しかし、そもそも認識し理解することができなければ、習得するかどうかを選択する自由を得られないことになる。
存在しないものを選択肢に数えることはできないのだ。

これは能力に限った話ではない。
知識、もっと広く情報についても全く同じことが言えるはずだ。
情報として認識し、その内容を理解して初めて、それをどう扱うかを選択することができるようになる。
かねてより言われている「情報は世の中にますますあふれ、人々はその量が多すぎて処理できなくなっている」「情報化の進展に伴って、あふれる情報の中から自分に本当に必要な情報を選択し、主体的に自らの考えを築き上げていく力が今後ますます必要になる」などという言説を、私自身は全く信じていない。
次々と降り注いでくる情報の内容を理解できていないから、それが自分にとって必要かどうかを選択することができず、巷間の喧伝を鵜呑みにするしかなくなり、処理できない量を抱え込むことになるのだ。
情報発信者ならほぼ誰でも、自分が発した情報こそが受信者にとって大切であると言うに決まっている。
発信者の言に惑わされず、自分の目で内容を理解すれば、自分に必要なものかどうかくらい瞬時に判断できるのだ。

認識し、理解し、選択し、習得するために必要なもの。それは「日本語力」である。
なぜなら、能力のリストも、各々の能力の内容も、知識も情報も、全ては日本語で記述されているからだ(英語などの外国語で記述されている情報もあるが、外国語を母語としていないという前提に立てば、外国語の習得の前提として「日本語力」はやはり必要不可欠である)。
「日本語力」こそ「生きる力」であると私が信じるのは、これが理由である。

「日本語力」は全ての学びの基礎であり、全ての学びは「日本語力」を拡げ、深め、鍛えることに繋がる。
だから、私は子どもたちに「本を読め」「作文を書け」「英語も数学も理科も社会も副教科も勉強しろ」と言ってきたし、おそらくこれからも言い続ける。
そして、私自身も学び続ける。

「生きる力」とは何か。
「日本語力」である。

それが発揮されることで獲得されるものは何なのか。
自由、すなわち選択する権利を自らに取り戻すことである。

(了)