作文による表現教育講座(児童・生徒対象)

※がくあん教育ラボの「作文による表現教育講座」には、児童・生徒向けと社会人向けの2つの講座があります。
このページは児童・生徒向け、すなわち小学生~高校性(大学受験浪人生含む)を対象とした講座の詳細です。
社会人向け講座はこちらのページをご覧ください。

【受講者(保護者)様からいただいた喜びの声】(事前に許可をいただいた上で掲載しております)
※茶色の文字は神尾のコメントです。

神尾先生

いつもお世話になります。

作文赤入れ等のメールありがとうございました。

(中略)

昨夜、ファイリングした息子の作文を読んでいたら、改めて、この一カ月の息子の頑張りに感心しました。
※作文と指導文は全てファイリングをお願いしています。

三年生にしては言葉も文章もつたないと思うのですが、今までだったら、書けない漢字はそのまま放置、書き順も適当にごまかして書いていたはずが、今は少し書き順があやしいと思ったら自分から漢字辞典を持ってくるようになりました。
※小3男子にしてはむしろ拙くないという印象です。「丁寧に書こう」という意識が高いのは、保護者様の子育ての賜物でしょう。自分から漢字辞典で調べるとは…素晴らしい!

プール開きの作文で使っている体操の「操」という字。
辞典には「六年生で習う字」とあったので、「どうするかなー」と息子を見ていたら、「書けそう」と言って書いていました。
習った、習ってない、ではなく、書ける漢字は書く、使うという姿勢が(←こんなこと当たり前なんですが)とても嬉しく思いました。
※「こんなこと当たり前」ではないです。習ってないから知らない、だから書けなくて当たり前と(習ったことについてすら)開き直る子どもの何と多いことか。作文はふだん会話で使っている言葉を「書く」ことを要請します。すると、音は知っていても漢字で書けない言葉が意外と多いことに気付きます。このメールで言えば「体操」ですね。これまでは「体そう」と書いていたけれども、本当は「そう」も漢字で書くことは知っている。漢字テストだったら「習ってない」で終わりますが、作文だと「書きたい」に変わる。それが作文指導であり、「生きた言葉」を身につけるということです。

トカゲなどの「調べる」ことに関しても、今まででしたら「図鑑を眺めて終わり」だったと思います。
そこから自分で文にして書く、という一段階はとても大きなものだと思っています。
※調べたことを誰かに伝える。これが学びの最短コースです。「最も学びたいことを人に教えなさい」と古くから繰り返し言われている通りです。特に作文に書くのは有効です。手を動かして文字を書き、書いた文字を目で追いかけ、推敲で音読し、自分の声を耳で聞く。手も目も口も耳も動かしますから学習効果も大きくなります。

私は子供の勉強を見ることに関して全くダメ親で、宿題すらほとんど放置。
そんな私がこの一ヶ月、息子の作文につきあい、忍耐力も(か・な・り)要りましたが、気づけば、息子の作文を読むのが楽しくなってきました。
息子との会話も増えました。
何より、息子を褒めることが増えました(笑)。
一番変わってきたのは私の方なのかも知れません。
※作文指導を受講した保護者様の誰もが、お子さまの変化にびっくりされます。そして、お子さまの変化は、日々向かい合う保護者様の変化を引き起こします。「こんなことを考えていたのか」「こんなに頑張れるのか」「こんなに伝えたいことがあったのか」「こんなに知識欲があったのか」という思いが、お子さまを褒めることに繋がり、褒められたお子さまは嬉しくてさらに頑張るという好循環を生みます。

今後とも親子共々宜しくお願いします。

本講座が目指すものの詳細については代表神尾が執筆した小冊子(このページのいちばん下に無料配付のご案内があります)に譲りますが、「本物の学力」としての「日本語力」を身につけるための最高にして唯一の講座であると自負しております。
お子さまの内面に分け入り、表現における基礎領域の活性化を図り、自己表現の教育を実践するために、一切の妥協を排して、自らの存在のすべてをさらけ出し、作文を通してお子さまとぶつかっていく所存です。

かといって、無駄に厳しい指導をするわけではありません。
言葉を用いて対話・表現していくことの楽しさ、面白さ、難しさを味わい、それらを通じて人生、すなわち言葉によって形作られる数々のドラマを構築して読解していく体験を、(少なくとも初めのうちは)それと自覚せずに積み重ねていただくことに主眼を置いています。

原稿用紙の向こうに面白い先生がいて、何を書いても「いいね!すごいね!おもしろいね!もっと聞かせて!」と言ってくれる。気分がいいからもうちょっと書いてみようかな。

この積み重ねがじわじわと効いてくる。それが作文指導です。

入会案内では、現在世の中にある作文教育(中でも特に通信教育)はその根本において全く間違った指導を実施していることを具体例とともに示した上で、本講座における赤入れと指導の実例をご覧に入れながら具体的な指導の内容について説明しています。
16ページ(A4サイズで)もありますのでここで全文を紹介するわけにはまいりません。

そこで、教室で実施している作文通学講座について紹介した月例通信のコラムの一部を以下に引用します(これでも十分長いですが…)。

アメリカの大金持ち400人に、「全く満足していない」を1、「完全に満足している」を7として、人生に対する満足度を7点満点で評価してもらったところ、平均は5.8点。
この結果は、グリーンランドのイヌイットや、牛糞で作った小屋で電気も水道も使わず牛を放牧して暮らしているケニアのマサイ族と同じだったそうです(Whitley Strieber “Money Really Doesn’t Buy Happiness”より)。

このエピソードを読んで何を感じましたか?
このエピソードから何を学び取りますか?
このエピソードを題材に用いて子どもたちに話をしてくださいと言われたら、何を話しますか?

学ぶということは、こういう引用から教訓(幸せとお金は関係ない云々)を引き出して満足することでは決してなく、これを材料と捉え、自分がこれまで身につけた知識や教養を道具として用いながら徹底的に読解・分析し続けることです。

そして、教えるということは、こういう引用から当然に引き出されそうな教訓を、大人がしたり顔で子どもに説いて聞かせる(幸せは金では買えないんだ!本当の幸せってのは云々)ことでは決してなく、これを材料として与え、読解・分析の道具となる知識や教養も惜しみなく提示し、自らもまたこれを徹底的に読解・分析し続け、その姿を見せ続けることです。

がくあんの作文講座を受講している生徒は、意識的ではないにせよ、学校やがくあんで普段学んでいることはすべて、本当にそのすべてが読解と作文執筆の道具となることを理解し始めています。
私は「こう書け」「これを書け」「これは書くな」とは絶対に、口が裂けても言いません。
何を書いて持って来ても「いいねぇ」「おもしろいねぇ」「すごいねぇ」と言って赤ペンで花丸を書いているだけです。(※)
だから彼らの劇的な上達ぶりは彼ら自身の能力の開花でしかないのですが、その開花した理由を敢えて探すとすれば、ペンを握らせる前に私が彼らに話す時、そして作文を読んで私が感じたことを彼らに聞かせる時、食い入るように耳を傾ける彼ら一人ひとりの「瞳の輝き」でしょう。

まず初めに私は、自分が選んだ読解対象(作文課題)を「私という個人」という立ち位置から(きわめて意識的に)一歩も離れることなく分析して見せます。
そして「『先生が言っていることだからきっと正しいんだろう』なんて思うなよ? 嘘は言っていないが、間違っているかもしれないよ? 『俺はこう思う』って話しているだけだからな?」と繰り返します。
「俺、この文の意味が全然わからないんだよ。どういう意味だと思う? これ書いた人はなんでこんなことを書いたんだろう?」と生徒に教えを乞うこともしょっちゅうです(本当にわからないんです)。
何が読解のヒントになるかわかりませんから、生徒の発言はもちろん自由。
学級会の書記さながら、生徒たちの意見を白板に書き写すのがせいいっぱいのときもよくあります。

生徒がペンを握る直前には「何を書いてもいい。作文の中なら神様になっても極悪人になっても犯罪者になってもいいんだ。俺は絶対に『こんなこと書いたらダメだ』とは言わない。だから安心して何でも書いて持ってこい」と繰り返します。
書いてくれたものに赤を入れる時は、そこに書かれていない内容を読み取り、場合によっては聞き出し、この作文で伝えたいことを言葉としてすべて表出させた上で、「どの言葉を選んでどういう論理展開でどう書いたらそれが相手に伝わるか」だけを徹底的に指導します。
直させるのは原稿用紙のルール違反、多すぎる読点、誤字脱字くらい。
その際もバツ印は極力書かないようにしています(本当は「極力」ではなく「絶対」にしなければなりません。私の課題です)。

このような内容が反復されることによって作文講座の「場」に立ち現れてきたのは、作文、勉強を通じて繰り広げられる相互理解のドラマです。
相手を理解し、自分を理解される。その繰り返しと深化、あるいは繰り返しによる深化が、自己信頼、表現技術、知識、語彙、教養の獲得に結実している。
がくあんという「学びの場」「教えの場」の理想型を極端な形で表現する結果となっている。
そんな気がしてなりません。(後略)

(※)今読み返してみると、「花丸を書いているだけ」はさすがに言い過ぎた感があります。実際には上述のようにいろいろと、和やかな雰囲気の中できわめて真剣に指導を行っていますので。

「作文による表現教育講座」を通じて、お子さんが「本物の学力」、すなわち「日本語力」を身につけるお手伝いをさせていただくこと。
そして、「本物の学力」を「生きる力」として携えたお子さんが堂々と社会に船出していくその背中を見送ること。
それが私たちの望みです。

対象は、いちおう小1~高3(大学受験浪人生含む)までとします。
しかし、幼稚園児でも大学生でも、表現技術の獲得に真剣な人であれば歓迎します。
親子での受講はむしろ強制したいくらいです。

本講座の詳細につきましては、入会案内をこちらよりご請求ください

本講座に関する疑問や不安は事前にすべて解消していただいた上でスタートしていただきたいと考えておりますので、本講座お申込の前に、お手数ではございますが必ず、小冊子と入会案内をお読みください。
そして、ご不明な点等ございましたらお気軽にお問い合わせくださいませ。

◎中学受験、高校受験、大学受験、就職試験など差し迫った事情で、早急に作文・論文技術の向上が必要なのだが…というご相談をよく頂戴します。ご要望があれば、志望に合わせた作文・小論文・論文対策講座(根拠に基づいた添削と表現技術の改善指導)を行います。
ただしこの対策講座では、人生を豊かにする「本物の学力」を身につける指導よりも論作文および合格のためのテクニックを伝授することが優先されてしまうことをご承知おきください。
カリキュラムは志望校等の出題傾向などをにらみながら個別に作成いたします。指導内容や指導料につきましても個別にご相談の上で決定いたします。まずはご相談ください。

代表神尾が執筆した小冊子
『勉強で「生きる力」をつける本』
を e-book で無料配付します。

ご希望の方は、以下のフォームにご入力の上、送信してください。折り返しすぐにPDFファイルにてお届けいたします。

※PDFファイルの閲覧には Adobe Acrobat Reader が必要です。

保護者様お名前 (必須)

メールアドレス (必須)

ご質問などありましたらお気軽にどうぞ