現実的有用性という幻の尺度

投稿者: | 2015年5月14日

国立大学については、競争的環境のもとで、新しい社会や産業に対応した自己改革を強力に進め、学問の進展やイノベーション創出に最大限貢献できる組織へと再編・転換していくことが必要であると考えます。 文科省の「国立大学法人運営費交付金の在り方に関する検討会」の「中間まとめ」では、第3期中期目標期間における各国立大学の強み・特色の発揮を更に進めていくため、機能強化に積極的に取り組む大学に対し、運営費交付金を重点配分する仕組みを導入することとし、予算上、三つの重点支援の枠組みを新設することとしております。 また、三つの重点支援の枠組みについては、機能強化の方向性や第3期を通じて特に取り組む内容を踏まえ、各国立大学に自ら三つの枠組みから一つ選択させ、重点支援を行う取組は、測定可能な評価指標(KPI)等による評価を行い、メリハリある支援を実施することとしております。 このような評価制度も含め、運営費交付金の改革については、今後更に検討を深めた上で、成長戦略に盛り込むことを考えております。 大学入学試験も、これからは学力、暗記・記憶中心ではなく、多様なアドミッション・ポリシーをそれぞれ大学なり学部が設けて行うことを進めていきたいと思いますので、同じ価値基準の中で、例えば東大を頂点としたピラミッド型の大学構成ということではなくて、それぞれの大学がそれぞれの特徴を考えて、他者との比較、地方の大学もミニ東大化するというようなことではなく、それぞれの強みを生かすような形にしていかなければ、多様な社会の中でニーズに的確に、国立大学であっても対応できないというところから、それぞれの国立大学の持っている強みを更に生かすことに対してバックアップをしていくという仕組みに変えていく必要があるのではないかと思います。Source: 下村博文文部科学大臣記者会見録(平成27年4月21日):文部科学省

「なんだこれは…」
思わず口をついて出た。

社会からの乖離・遊離をスタンスとしない大学は、もはや大学ではない。
「新しい社会や産業に対応した自己改革」とやらに巻きこまれたら、大学は「知の(純粋)培養器」としての存在価値を失うことになる。

では、大学にはそれ以外に根源的な存在価値はあるのか?

知性や教養を役に立たぬものと蔑むのは簡単だ。
しかし、全ての知は、生まれ出た瞬間は「机上の空論」であったはずだ。
それを現実世界に応用する、役に立つものにするのは、生まれ出た知が成長する段階で必要とされることであって、生まれ出た瞬間にその現実的有用性を問うてはならない。

そして、その現実的有用性は、ある知を自らのものとして獲得した一人ひとりが、自らの内面でその知に付与していくものである。
すなわち、万人に通用する「現実的有用性という尺度」は、知に関しては存在しないのだ。

微積分がある人にとっては仕事に欠かせない道具のような基礎知識であって、ある人には思考におけるメタファーとしてしか機能していなかったとしても、この両者にとっての微積分の有用性は、優劣がつけられる類いのものではあるまい。

「新しい社会や産業に対応した自己改革」という言葉は、馬鹿な中学生が教師に投げつけて悦に入る「こんなの勉強して将来何の役に立つの?」という問いを想起させる。
どちらも、知の価値を現実的有用性という存在しない尺度で測ろうとしている。
そこには、知の萌芽の気配すらない。

文部科学省は日本から知の萌芽を根絶したいのだろうか。