2015(平成27)年9月 今月のお知らせ(抜粋)

投稿者: | 2015年9月19日

いつもご厚意をお寄せくださいまして、誠にありがとうございます。

[神尾]
○ようやく涼しくなってきました。この時期は、朝晩や建物内外の寒暖差で体調を崩しがちです。くれぐれもご自愛くださいませ。
○足音が聞こえてきた読書の秋。家のそこかしこに山積みになっている未読本を読み進めていきたいなと思いつつ、これは!と思うとつい買ったり借りたりしてしまって、読みたい本ばかりが増えていきます。妻のように読書以外にも趣味を持ちたいなぁと思うのですが、どうやら本の虫以外にはなれないようです。

さて、今月のお知らせは次の通りです。ご確認ください。

〈イベントのご案内〉

がくあんでは、お子様向け、保護者様向けともに様々なイベントを検討し、実施しております。
今後のイベントは下記のようになっております。詳細は別紙にてお伝えいたします。

10月23日(日)11月29日(日) 第三回セミナー「子どもの言葉をふやす」
※講演終了後、保護者の皆さまとのお話し会も開催
堺市西文化会館ウェスティにて 午後1時30分開場 午後2時開始 参加費500円
※郵送/配付いたしましたお知らせから日付が変更になっております。

〈保護者面談などについて〉

保護者面談、三者面談についてはいつでも受け付けておりますので、ご相談などございましたら、お気軽にご連絡ください。
場所や時間もできるだけご希望に合わせます(神尾自宅、保護者様ご自宅、喫茶店などのお店、あるいは電話、メール等)。

また、保護者の皆様が集まる場で勉強や教育が話題になる場合には、末席にてぜひ参加させていただきたく存じます。
今後の方針を策定するために、保護者の皆さまの「教育に関する本音」を伺いたいと心から望んでいます。
また、私たちの持っている情報でお役に立つものがあれば、いくらでも提供させていただきます。
「あの集まり、今度は神尾も呼んでやろうかな」と思いつきましたら、ぜひお声がけくださいませ!

〈作文合宿、無事に終了いたしました〉

去る8/15-16に作文夏合宿を無事実施することができました。
堺からは高校生と大学生4人、熊本県・愛媛県・兵庫県から親子3組7人、そして私たちの計13人での一泊二日。
琵琶湖畔は天候にも恵まれ、楽しく有意義な時間を過ごすことができました。

私たちにとっては驚きと感動がこれでもかと押し寄せてきた二日間でしたが、なかでもうれしかったのは、堺がくあん組の高校生・大学生の活躍。
相変わらずマイペースではあるものの、年齢相応の振る舞いをきちんと身につけ、慣れない場所で緊張する子どもたちへの声かけや遊び相手、食事の片付けなどを自発的に行っていました。
立派に成長し、すてきな大人になっていくんだろうなあと、しみじみと彼らの成長への喜びを噛みしめました。

素晴らしい機会を頂戴いたしましたこと、この場にてあらためてお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

〈コラム~「生まれつき」ではない〉

「どうしてユダヤ人には傑出した偉人が多いのか」について書かれた小文を読む機会がありました。
名高い実績を残したユダヤ人は古今を問わず数多くいます。
彼らが錚錚たる人物たり得たのは、彼らがユダヤ人に生まれたからではなく、ユダヤ人として生きたからだというのが筆者の結論でした。

DNA的には純粋なユダヤ人は存在しないことから、遺伝ではなく獲得形質である。(中略)子どもの頃から聖書(旧約)、タルムード(律法)の学習、記憶が日常生活の一部としてあり、一三歳の時に受ける成人式ではラビ(坊さん)の前で膨大な量のタルムードを暗唱しなければならない。大人になる頃には聖書を隅々まで暗記している人も珍しくない。こうして成長期に負荷をかけることで暗記する術を身につけ、脳に巨大な記憶スペースができる。
(丸谷馨『プロ家庭教師の技』(講談社・2003年)p.224)

筆者はさらに、日本の受験体験も同様の「獲得形質」を生み出すという意味では優れたものなのではないか、と述べます。
私もそれには概ね賛成です。
受験体験を乗り越えることで、自分に合った学習方法や広範な諸教養が半ば強制的に得られることの恩恵は計り知れないものがあるからです。

ここで私の言う諸教養とは、言葉、語彙と同義です。
私たちは言葉で世界を理解し、思考し、世界に表現します。
人間を他の動物と分かつ三要素の一つが「言葉の使用」であるのはそういう意味です。
そして、私たちは自分の持てる語彙を超えて思考することは絶対にできません。
つまり、語彙の量と質がその人の思考を規定し、それゆえにその人の「世界の広さ」をも規定するのです。

極端なことを言えば、テストの点数や成績表の評定などはどうでもよろしい。
社会に一歩踏み出したときに、使い込んで自分の手足の一部のようになった道具としての語彙をどれだけ携えているか。
彼/彼女にとって世界はどれだけの広さと深さを持ってその眼前にあるか。
それこそが教育の問われるべき価値です。
そして、その意味の教育において、学校以外の社会、特に家庭の果たせる役割はまだまだたくさんありますし、その役割を果たすことが私たち自身を鍛え続けていくことにもつながっていきます。

10/2311/29にはもっと分かりやすく具体的にお伝えしたいと思っています。
ふるってご参加ください。

それでは、今後ともがくあんを、そして私たちを何卒よろしくお願い申し上げます。