2016(平成28)年2月 今月のお知らせ(抜粋)

投稿者: | 2016年2月10日

いつもご厚意をお寄せくださいまして、誠にありがとうございます。

[神尾]
○先日行われました大学入試センター試験。現代文の問題のあまりの「軟弱さ」にビックリいたしました。特に説明的文章で取り上げられている評論(?)については、設問の易しさもさることながら、本文のあまりのくだらなさ(拙劣な日本語と杜撰な社会分析)に唖然としました。語注の異常なまでの詳しさに至っては、もはや失笑するしかありません。どのような意図があってこのような浅薄な文章が選ばれ、どのような作為によって今回の易化が実施されたのか、その本意については知る由もありませんが、大学入学を志す人々の学力レベルに合わせた結果だとするならば、大げさではなく日本の教養水準のこれからを憂わざるを得ない事態だと本気で思っています。来年度は難化する予想がすでにそこかしこから提示されておりますが、(難化云々はどうでもいいので)大学入試にふさわしい「まともな本文」「まともな設問」に戻ってくれることを、教育界のすみっこから切望しています。

さて、今月のお知らせは次の通りです。ご確認ください。

〈イベントのご案内〉

がくあんでは、お子様向け、保護者様向けともに様々なイベントを検討し、実施しております。
今後のイベントは下記のようになっております。詳細は別紙にてお伝えいたします。

2月28日(日)第四回セミナー「何はともあれ『読み書きそろばん』」
※講演終了後、保護者の皆さまとのお話し会も開催
堺市西文化会館ウェスティにて 午後1時30分開場 午後2時開始 参加費500円

3月27日(日)第五回セミナー「小学生のうちにこれだけは!」(仮)
※講演終了後、保護者の皆さまとのお話し会も開催
堺市西文化会館ウェスティにて 午後1時30分開場 午後2時開始 参加費500円

4月17日(日)第六回セミナー「作文で『賢さ』を身につけよう!」(仮)
※講演終了後、保護者の皆さまとのお話し会も開催
堺市西文化会館ウェスティにて 午後1時30分開場 午後2時開始 参加費500円

〈保護者面談などについて〉

保護者面談、三者面談についてはいつでも受け付けておりますので、ご相談などございましたら、お気軽にご連絡ください。
場所や時間もできるだけご希望に合わせます(神尾自宅、保護者様ご自宅、喫茶店などのお店、あるいは電話、メール等)。

また、保護者の皆様が集まる場で勉強や教育が話題になる場合には、末席にてぜひ参加させていただきたく存じます。
今後の方針を策定するために、保護者の皆さまの「教育に関する本音」を伺いたいと心から望んでいます。
また、私たちの持っている情報でお役に立つものがあれば、いくらでも提供させていただきます。
「あの集まり、今度は神尾も呼んでやろうかな」と思いつきましたら、ぜひお声がけくださいませ!

〈コラム ~「助けに行きます」~〉

ジェイコブ・リースは19世紀アメリカのジャーナリストです。
21歳でデンマークから移民としてアメリカにわたった彼は、24歳でニューヨーク・トリビューン紙の記者となります。
新米記者に与えられたのは一大スラム街(ロワー・イースト・サイド地区)の警察番の仕事でした。
この仕事が契機となってスラム住民の生活ぶりを追うようになった彼は、当時流行し始めたフラッシュを使用したカメラを用いて(電気の通っていない、文字通り)スラム街の「暗部」の写真を撮り、街とそこに住む人々の姿を報道し続けます。
1890年に出版された彼の著書 ”How the Other Half Lives: Studies among the Tenements of New York” は自身の写真と文章で構成されており、その赤裸々な描写は「絶望的なまでの貧困が確かに存在する」という現実を一般の人たちに突き付けるものでした。
リース自身も15人兄弟の3番目として生まれ、どん底の貧しさを経験したので、真に迫るものを書くことができたのでしょう。

『対岸の生活』が出版されて間もなく、リースは、政治の世界を歩み始めたばかりの若者からハガキを受け取りました。
そこには

I have read your book, and I have come to help.
Theodore Roosebelt

とだけ記されていました。
ハガキの差出人は、後の1901年にアメリカ合衆国第26代大統領に史上最年少(42歳10ヶ月)で就任するセオドア・ルーズベルトその人。
歴代アメリカ合衆国大統領のランキングで現在でも「偉大な大統領」の一人としてその名を挙げられる人物であり、日露戦争での和平交渉斡旋によってノーベル平和賞を授与されてもいます(余談ですが、熊のぬいぐるみで有名なテディベアの「テディ」は彼の愛称と、彼が熊狩りの折に「スポーツマンシップに悖る」として瀕死の熊を撃たなかったというエピソードに由来しています)。
そんな彼がこの本に出会ったのは(1890年だとすれば)32歳、最年少議員としてニューヨーク州下院に選任されてから9年ほど経ったころです。
ウィキペディア(英語版)によれば、本書の出版はロワー・イースト・サイド地区の生活環境(上下水道やゴミ収集等)の改善の契機となったとのこと。
あるいはセオドア・ルーズベルトもこの政策に一役買っていたのかもしれません。

手紙に書かれた I have read your book, and I have come to help. という言葉。
直訳すれば「本を読みました。私が助けます」となります。
後半部分を「彼らは私が助けます」と読めば(helpの目的語はyouではなくthemと解すべきでしょう)、この短い手紙には、政治家セオドア・ルーズベルトの決意表明、そしてスラム街の現実を世に周知せしめたジェイコブ・リースへの多大なる謝意が込められているような気がします。

情報過多と叫ばれて久しい現在において、私たちは呆れるほど多くの情報を目で見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、舌で味わい、肌で感じながらでなければ生きていけないかのような思い込みに、ともすれば支配されてしまいます。
そのせいで私たちは情報の取捨選択を素早く効率的に行う技術のみを経験的に習得してしまいます(意識的にその技術のみを習得、向上しようと努力する人たちや、それを奨励する人たちすら存在します)。
結果、私たちの大多数は、一つの情報とじっくり向き合い、それを「我が事として」考える手間と時間をかけずに済ませてしまっている。
そんな気がしてなりません。

この事態は何を生むか。
想像力の弱化です。
能力は筋力と同じで、使わなければ衰えます。
情報を我が事として考えるためには、それを事実そのものとして捉えるにせよ、あるいは比喩として捉えるにせよ、想像力が欠かせません。
想像力は想像するという知的作業によってのみ鍛えられます。
一方、想像力を駆使して何かを考えるのには、当然ですが時間がかかります。
知的体力も要求されます。
つまり「面倒くさいこと」なのです。
面倒くさいからといってそれをせず、情報を効率的に「捌く」ことにのみ長けたところで、捌かれた情報は(それらがどこかに蓄積されたとしても)何も生み出しはしませんし、捌いた本人も何ら知的に成長しません。
上手く捌く技術の習得と向上に血道を上げることこそが、実は労力と能力と時間の無駄遣いなのです。
本当にすべきことは他にあるのです。

情報を処理する必要は確かにあります。
単位時間あたりに私たちが接する情報の量は、19世紀末と現在とでは確かに大きく異なるでしょう。
しかしながら、裕福な家庭に生まれたセオドア・ルーズベルトがジェイコブ・リースの突きつけた事実(ルーズベルトにしてみればまさにthe other halfだったでしょう)を我が事として考えたように、情報と正面から向き合い、それを想像力を駆使して我が事に引き寄せるという知的作業こそが本質、私たちがすべきことなのです。
それをしないのであれば、そもそも情報を取捨選択する必要すらありません。
結局は全部捨てているのですから。

それでは、今後ともがくあんを、そして私たちを何卒よろしくお願い申し上げます。